ロシアのウクライナへの侵攻が始まり、世界的な関心が集まるとともに戦争に対する抗議の声が上がるようになってきました。
予想している人も多かったであろうロシアの軍事行動が北京オリンピックが終わった後に実行されたことでオリンピックの余韻が吹き飛んでしまった感があります。
なぜ、ロシアはウクライナ侵攻という世界的な批判を浴びる軍事行動に出たのでしょうか?その目的と過去のヨーロッパとの戦争の歴史についても調べてみました。
※あくまで個人の主観です。また、ウクライナ情勢については投稿日時点までの情報を参考にしていまるので異なる可能性があります。
ロシアのウクライナ侵攻の目的とは何?
ロシアが北京オリンピック終了後にウクライナへの侵攻を開始したことで世界的に批判を浴びている状態ですが、なぜウクライナへ軍事侵攻をする必要があるのでしょうか?
前回のクリミア半島への軍事行動でも猛批判を浴び、欧米からの経済制裁を受けて国内経済がガタガタになった経緯もあるのに今回も軍事行動を起こしてしまいました。
NATOの勢力拡大を阻止したい
1つめはNATO(北大西洋条約機構)の拡大を阻止したいと言うことです。
ロシアとしては西側(欧米の資本主義陣営)が拡大してロシアの目の前まで来るのは避けたいと言うのがあるでしょう。欧米とは対立することが多いロシアにとって欧米側の国が増えるのは脅威です。
何よりロシアの影響力が弱くなっていくことを恐れているとも言えます。
ソ連崩壊後、社会主義陣営だった国がEUに加盟するなど社会主義は衰退の一途を辿り、ロシアと国境を制する国が西側になるのはロシアにとっては気に食わないことでしょう。
NATOの拡大と言うよりは資本主義陣営の拡大と言った方が正しいのかもしれません。プーチン大統領がソ連時代の強さを再興しようと考えているならですが…
NATOの東欧への拡大=ロシアの影響力の低下を意味するとプーチン大統領は考えていると思うのでこれ以上の西側陣営の国の誕生は阻止したいと言うのもあるのでしょう。
ロシア国内の不満を外に向けたい
2つ目はロシア国内のプーチン大統領に対する不満を外に向けたいと言うことです。
これまでの歴史を振り返っても内部の不満を外に向けるために行動を起こすことは珍しくありません。韓国の例を挙げれば分かりやすいのではないでしょうか?
特に夏になると対日批判が激しくなり、韓国国内の反日感情が高まることが多くなります。反日感情を煽り国内の不満を外に向けることで支持率の低下を防ぐ(一時的とはいえ)手段として使われます。
ロシアの場合は、2014年のクリミア危機で欧米からの経済制裁により国内経済が打撃を受けており国内の不満も小さくありません。
今回のウクライナ侵攻により、ロシアに対する制裁が次々と発動されておりロシア国内では銀行のATMに長蛇の列が出来ている映像がテレビでも紹介されました。
国内の不満も大きくなっているのでその矛先を外に向けるため「強いロシア」を演じたいというのがプーチン大統領の狙いの1つではないかと考えられます。
ウクライナ侵攻は思うように進まず、むしろ予想よりも手こずっているため不満を外に向けるどころかより自分自身に強く向けられているのが現実と言えるでしょう。
今回のウクライナ侵攻はロシア国内の不満のガス抜きと言う一面もあると思います。
ロシア帝国の再興を目指している?
3つめはロシア帝国の再興を目指しているということです。
これに関しては個人の勝手な推測ですが、プーチン大統領はロシア帝国の再興を夢見ているのではないかと思います。
ロシア帝国は18世紀初めにピョートル1世が建てた王朝でロシアがヨーロッパ方面へと勢力を拡大し強国となった時代でもあります。
ウクライナやベラルーシなどもロシア帝国の影響力が及ぶ地域となっていたのでプーチン大統領はその時のような強いロシアを目指しているのではと思えます。
プーチン大統領はピョートル1世を尊敬しているとのことなのでピョートルになろうとしているのではと考えてしまいます。
ロシアのヨーロッパとの戦争の歴史とは
ロシアがウクライナ侵攻をする以前のヨーロッパの国との戦争と言うと第1次世界大戦、第2次世界大戦があることは知っている人も多いと思います。
この2回の世界大戦が現在の国際情勢に大きな影響を与えていることは明らかですが、これより前にもロシアはヨーロッパとの戦争を行っています。
ここでは2人の皇帝が行ったヨーロッパとの戦いについて紹介したいと思います。
ピョートル1世による北方戦争
1人目は17世紀後半から18世紀初めのロシア皇帝ピョートル1世です。高校世界史で出てきた人物なので名前は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?
ピョートル1世の治世時代に起きたヨーロッパとの戦いとして北方戦争があります。北方戦争は当時、ヨーロッパで強国だったスウェーデンとの戦いでロシアが西へと勢力を拡大する要因ともなった戦いでもあります。
スウェーデンは17世紀前半にヨーロッパで起きた三十年戦争に参戦して勝利を納めヨーロッパの大国としての地位を形成していました。
約20年間に渡る北方戦争でロシアのピョートル1世はスウェーデンに勝利してバルト海の覇権を奪い、ヨーロッパの列強の仲間入りを果たすことになりました。
現在、モスクワに次ぐロシア第2の都市であるサンクトペテルブルクはこの北方戦争の最中に建設されたと言われピョートル1世の時代にロシア帝国の首都となりました。
北方戦争では現在のウクライナも戦場となっており、1709年に起きたポルダヴァの戦いはロシアがスウェーデンに勝利したことで北方戦争の戦局を大きく変えた戦いとも言えます。
この北方戦争の勝利でロシアはバルト海沿岸の地域を多く自国の領土としたことでヨーロッパ方面へ大きく勢力を拡大しピョートル1世はロシア帝国の礎を築きました。
ピョートル1世は現在のロシアの基礎を作ったと言っても過言ではないです。軍事改革や経済政策、行政改革などを実施し国内の地盤強化に努め、強国への一歩を踏み出しました。
エカチェリーナ2世のポーランド分割
2人目は18世紀半ばの女帝エカチェリーナ2世です。こちらも高校世界史で啓蒙専制君主として出てくるので名前を聞いたことがある人も多いともいます。
エカチェリーナ2世の時代に起きたヨーロッパでの戦いがポーランド分割です。3回にわたるポーランド分割は地図上からポーランドを消滅させることとなり第1次世界大戦終了後まで復活することはありませんでした。
3度のポーランド分割でロシアは領土を拡大し、現在のベラルーシを含む北東部の広大なエリアを獲得した。そのベラルーシは現在、ロシアと共同軍事演習を行うなど親ロシア派の国家となっています。
ポーランド分割は18世紀のヨーロッパの強国であったロシア、プロイセン、オーストリア(第2回は不参加)による政治的策略により引き起こされた戦争であり、ポーランドは滅亡し列強の支配を受けることになりました。
18世紀初めのピョートル1世が北方戦争で勝利し、ロシアの強国への礎を築いたのをエカチェリーナ2世はしっかり引き継ぎ、さらに西へと勢力を拡大したと言えるでしょう。
まとめ
ロシアの歴史でヨーロッパとの戦争についてピョートル1世、エカチェリーナ2世の2人の皇帝の時代を取り上げました。高校世界史の内容を思い出した人もいるのではないでしょうか?
他の時代でもロシアとヨーロッパは戦火を交えていますが、この2人の皇帝の時代に起きた戦争は現在のウクライナ情勢の中心となってしまいました。
北方戦争での勝敗を分けたとも言われるポルダヴァの戦いの場となったウクライナ、ポーランド分割でロシア領となったベラルーシが約300年の時を超えて異なる立場で戦うことになってしまいました。
2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻が始まり、両国は戦火を交える事態に陥ってしまっています。すぐさまロシアは侵攻をやめて停戦するべきですが、プーチン大統領はそんな気はないでしょう。
今後、欧米を中心にロシアに対し経済制裁が強化されていくことでロシアは世界的に孤立することが予想されますし国力の低下は避けられない可能性が高いでしょう。
プーチン大統領がピョートル1世が築いたロシア帝国の復活を夢見たままならウクライナ侵攻だけに止まらないかもしれません。
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